ふと、呼び起こされるそれは

予兆のない運命のように離れない








その名、輪廻に囚われし














そこはすべてが闇だった。


この宙に夜という事象など存在しないのだから、これは不変の真実。
それでも、透明な壁の向こう側に存在する世界は
数時間前のものより一層に黒く蠢いているように己の瞳に宿る。
それは今の、この不確定な感情のせいなのか。








「ケイオス、お前すこし休んできていいぞ。」


エルザをしばらくファウンデーションに停泊させることに決めて、
そうJr.に見送られたのは数時間前のことだった。

体力を特別に使った訳でもないのだから、そんな必要はなかった。
否、それ以前に自分にそんな気遣いは無用ではないのか。
そんなことは彼にも分かっているはず。
それでも彼が自分にそう言ったのは、おそらく心の内が読まれたからに違いない。

『ここじゃ、落ち着かないだろ。』

彼の声は確かに聞こえた。





ケイオスはデュランダルのパークエリアにいた。
瞬きをすることさえ惜しむように、壁越しの宙をじっと見つめる。

数多の星の輝き。
あの光はいったい何時のものなのか。
同じ宙にいるはずなのに、すこしも測ることの出来ないこの距離は
人の心に、少し似ている。そう思った。


Jr.の判断は正しい。
彼の、その気を遣いすぎることのない空気は心地よかった。
それはエルザのクルー達とも同じで。

『優しいんだね、君は。』

搭乗して間もない彼にそう言葉にされて、息が詰まった。
優しい、のだろうか。
ほとんど無意識のうちに、返事は繋がる。

『優しさは、時として人を縛ります。――でも 』

けれどおそらく、これが最も相応しい答えなのだと
それは、何もない世界で初めて色を手にしたように鮮やかに芽生えていた。
暫くすると彼が続きを求めるようにこちらを窺っているのに気付いて、ただ笑い返した。
言わなくても、きっと彼は分かっているはずだと。そう思いたかった。





――― 淡く、かすかに緑の残る荒野。

それを隠すように靄が包み込む。
その中で、光に映し出された連なる木々の分身は
希望を失った戦旗のようにだらしなく揺らめいていた。

残り少ない時間で過去を思い起こすように。ただ護るように。



いつの間にこんな場所に迷い込んだのか。


『なにを、そんなに戸惑うの。』

後ろから声が響く。
解っている。あの、傷みを背負った、少女の姿をした彼女。

いる訳はないのに。


振り返ると、靄に映るその影が、こちらを窺うように小首を傾げる。








「こんなところにいたのね。」



そうして手にしたのは予想とは異なった声。

この声は誰のものだったか

認識の出来ないそれは
混濁した意識の中で美しいもののように思えた。



「あれ…もしかして寝てたの?
ごめんなさい、起こしちゃったわね。」

「―― シ、オン……?」



そうだ、これは彼女の声だ。
そう認識すると同時に視界に環境虫の光が広がった。
彼らはいつからあんな光を放っていただろうか。
先ほどまでは、暗闇にいると。思っていたはずなのに。

「みんなでね。ケイオス君が中々帰ってこない、って話してたのよ。
何かあったのかな、と思って捜しに来たんだけど…。」

かえって邪魔しちゃったわね、と笑うシオンの顔が幻のように思える。
それは周りの光のせいなのか。それともただ寝ぼけているだけなのか。
そんな事はないよ。と反射的に返して立ち上がろうとすると、なぜかシオンはケイオスの横に腰掛けた。

「……シオン?エルザに行かないの?」
「うん、ちょっと、ひと休み。」

その響きが今の状況では不自然な気もしたが、いつしか彼女の光に伸ばされる手に視線が囚われた。
暗闇の中で光に手を伸ばす。至極ふつうな動作だというのに
今、目にしている彼女の手の後には、それがまるで夢であるかのように淡い光の軌跡が見える気がした。

「何か、気になることでもあるのかい?」

ケイオスがそう尋ねるとシオンは首を横に振った。
彼にしてみても、これはほとんど無意識のうちの問いかけだった。
規則的な循環だ。ただ、目の前に少し目を伏せた人間がいたというだけの理由で
その内容には大した興味を持っている訳ではない。

そう、と返すと、今度はシオンの方がケイオスに向き返って問いかける。

「ケイオス君は、悩みごとあるんじゃない?」

その問い返しにケイオスは静止した。
そんなふうに装ったつもりもないのに、なにが彼女にそう感じさせたのだろうか。
胸の奥で何かが疼いて、それを必死に抑えようとする力を感じる。
動揺、している?それとも彼女に対する感嘆の叫びなのか。

「何故、そう思うの?」

適当に誤魔化すことは簡単なことだ。
けれど今は、この人の答えを聞いてみたいと思った。
彼女は確かによく気の付く人だ。けれど、それだけのことなのだろうか。

するとシオンはケイオスの顔を少し覗き込んで答えた。


「ケイオス君の瞳ってとっても綺麗よね。そこに宿る力は、いつも私を落ち着かせてくれる。」

少し自嘲的な、けれど彼女らしい細い笑みがケイオスの瞳を捕らえる。
彼女の瞳は淡く、けれど海のような器の深みを帯びた碧だ。

「でもね。今はその瞳が揺らいでるように見えたの。
ケイオス君の奥の方が、崩れそうな何かを繋ぎとめようとしてる。そういうのを人は不安っていうのよ。」

蒼と碧の交錯する渦。混ざり合う中の不調和が表れた色。
はじめから不安定なこの瞳のなにが、彼女に共鳴し落ち着かせたのだろうか。
そちらの方がケイオスには不思議だった。自分が不安だということはどうでも良かった。

惹きつけられる力を余所に、ケイオスは冷静に言葉の整理をはじめる。そう、彼女は――

「シオンは優しいね。」

そこでつくられた笑みは、自分でも驚くほど穏やかだったと思う。
固く結ばれていた糸がゆるやかに解けていく感覚。
けれど同時に、胸の中で閉じていた花が開こうとして、中に潜めていた何かが風に攫われてしまいそうな。
そんな不安要素がそこにはあった。

シオンは一瞬怯んで、首を傾げる。

「ケイオス君の方がずっと、優しいと思うわよ?」


そうして零れる一枚の言の葉。


それはある程度、予想されていた。彼女ならば、言うであろうと。
けれど、やはりそれは自分には相応しくない。心が傷むだけ。
それでも彼女がこんな笑みを、こんな言葉をつむぐ理由は。答えはひとつしかなかった。

彼女は気付いていない。自分の、機械のように単純な回路の在り処を。


運命を傍観できる平静さと事実を組み立てる回路。
自分の行為に時として心がないことを、知られないように努め潜める姿をどんなに愚かだと思ったかしれない。
心を求めるよりも隠すことを選んだ自分を。

そんな自分の言葉を真摯に受け止める、彼らを。




だから締め付けられた。



惹かれた。




「シオン。」

どれだけの傷みを負っても適わない。
けれどただひとつ、確かなことだと思うもの。

「優しくするにはね、優しくしたいと思わなければならない。」
「?」

碧の双眸が不思議そうに、周辺の光を拾って妖しく光る。
今にも涙が零れるのではないかと思わせるほど、その光は眩しく、美しい。


「僕が優しいかどうかは僕が決めることじゃない。
相手が決めることだよ。けれどそれは万人が僕を優しいと思うということ。
…そんな事はまずないから、僕が優しい人だという定義はなりたたない。」


いつだったか。そうなりたいと願った頃が自分にもあった気がする。
けれど、今の自分にはない。自分だけが、それをよく分かっている。

優しさに定義なんてものを求めたのはいつのことだったか。


一度だけ、どうしても「それ」を形にしたくて求めた。
それほどに優しさが自分の心を惹きつけた時が、あったから。






「けれどね、シオン。

優しくしたいと願う人を、優しい人だとは定義できる。
実際に優しく出来ているか、ということより前に重要なことだよ。」



導かれた答えの中で、それだけが穢れをもたなかった。

人は意識的な優しさを、支えたいと願う心を、時として偽善と。傲慢だと嗤う。
けれど意識のない優しさなんて、脆い。

人は想う生きものだ。けれどいつでも傷みを分け合える訳じゃない。




例えば、生が死への恐れを繋ぎとめるように

喜びが哀しみを深くするように


優しさは寂しさを生み
寂しさを優しさは埋める


個人の定義によってどちらの可能性にも変化しえるひとつの事象。
束縛に似た、絡み合う螺旋のもつれこそ優しさの一欠片。

意識もなしに、善いベクトルだけが反応するなんてこと、期待してはいけない。



それでも ――――






「そうね。そうかもしれない。

けどケイオス君は優しくしたいってちゃんと思ってる人だわ。
優しい人、よ?」


シオンはふたつ、話の内容を確かめるように頷いていつものように優しく微笑む。
すべてを受け入れようとする、許しを帯びたその顔で。


シオンは分かっていない。

シオンが優しさだと思っているものは、必ずしも優しさではないことを。
ただ、シオンがそれを優しさに変換する心を持っているからだということを。

相手の言葉には心があるのだと、信じている君だからこそ感じる偽りの優しさだということを。



それでも、それを分かっていながら「何か」を望む自分が
彼女の言葉を信じようとしている。

あれほど愚かだと、思ったくせに。


「……そうだと、いいと思うよ。」


シオンにも届かないほど、静かに答えてケイオスも微笑んだ。
それは笑顔というにはあまりにも微力な笑みだった。

けれどこれは穢れのないものだと、思った。



「そろそろ戻ろうか。
みんな、もう待ちくたびれてるかも。特に気の短い船長とかね。」


そう提案してケイオスがいつものように笑うと、シオンもまた笑い返す。
手を差し伸べると、シオンもまた自然と手をとった。
そうして手を通して伝わる熱が、力が。
自分の心のどこかを満たすのが分かった。










傷みと優しさは表裏一体。

世界が陰と陽に分かれ、人がそのどちらかを強く望むときがあるならば



それと同じように願いたいと思うこの心は罪なのだろうか。











けれどその気持ちを少しだけ。許してもらえるならば。









今、この時、自らを満たしていくその感情。


変わらず手放せずにいる、この感情。







その名は―――。



































END
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どうもはじめまして。未羽憐と申します。
なにはともあれ長くて申し訳ないです。そして二人ともはげしく偽者です。
えと分かりづらいと思うので少しばかり話の補足など。

「優しさ」の定義はひとそれぞれだと思いますが
私は人には少なからず、たとえ不器用であろうとも優しい部分なんてあると思います。
でもみんなを「優しいひと」なんて言ったら、優しいっていう言葉の価値はないに等しいことになってしまう。
なら問題は、優しくしたいと心から願えるかどうかじゃないのかな、と。
それは決して嘘をつかない正直者であるとか、相手の意見をつねに受け入れなきゃいけない訳ではなくて。
ただ、相手を傷つけないための努力を怠らずにいられるかどうかなんじゃないかと、私は思います。

ケイオス君の「万人が僕を優しいと〜」のあたりは、あくまで人は人であって『優しい人』なんて人間は存在しない。
だって一人でもその人を優しくないと思えばそれは意味のない名前だから、ということ。
人のいう優しい人っていうのは、優しさを伝えるのが上手いひと、のことだと思います。
で、ケイオス君的にはそれは納得がいかなくて受けとる側の優しさばかり見ようとしている。
でもシオンは、与える側の優しさを量るのが難しくても
皆が優しいというのだからケイオス君は優しいのよ、と言い切ってしまう。そんな話。
相手にそれを優しさだと認めてもらうことが重要な訳ではなくて、認められたときに自分でそれに気付くことが大事。

正直、これは恋愛感情では書いてないのですが…これでもケイシオ名乗って平気ですか!私!
それ以上に補足が多すぎで駄目ぽいですよ私!!


拙文で申し訳ありませんが、ケイシオ同盟さまに献上いたします。
これからもケイシオ好きさんの輪が広がりますように、お祈りします。






後書きは端折ってやって結構です、とのことでしたが 無 理 で し た 。
是非とも本文に負けない素晴らしい後書きも皆様に見て頂きたく…!
私の中のケイシオ魂がひたすらに雄叫びを上げています。
本編ではなかなか汲み取りにくいケイオス君の内面が実に…実に!!(ふるふる)
シオンとの落ち着いたこの深い会話、そして雰囲気が…!
これぞまさに「ケイシオの定義」とでも言いましょうか(笑)
私の拙い感想で濁すのも申し訳ないほどに…素敵なケイシオをありがとうございました!




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